10月31日 チョコレートドーナツ東京千穐楽

舞台チョコレートドーナツ2023渋谷パルコポスター

PARCO劇場まで
PARCO劇場ホワイエ
『チョコレートドーナツ』第一幕
『チョコレートドーナツ』第二幕
雄弁なルディ、その光
ふたりのポール
マルコについて
マルコの母親、マリアンナについて
『I Shall Be Released』で謳われる「自由」とは
『チョコレートドーナツ』の時代背景
「なんて救いがない話なんだ
終わりに
リンク

PARCO劇場まで

朝、ホテルを出てコンビニエンスストアの前のバス停まで行ってから気づきました。
ハンカチ忘れた。
余裕をもって出てきていたので坂を下りてUターン。
天気は良好で、爽やかな風が吹く朝、散歩途中のプードルが、「褒めて」と言わんばかりに人が通りかかるたび背筋を伸ばしてぴたっと止まる姿に和みながら、いよいよチョコレートドーナツ東京千穐楽当日です。
メイクはアトリエはるか・渋谷マークシティイーストモール店にお願いしました。

PARCO劇場にドレスコードがないとはいえ、特別なステージなので気合はいれたいという要望(この日のために10年ぶりに眼科でコンタクトレンズの処方箋をもらった)+服やアクセサリには拘りたい+朝メイクにコストと時間を取られるのをさけたいというニーズにより、まるっと外注。

題材に合わせて思い切りラメを使ったメイクは華やかで明るくていい感じです。
10時30分に親友Sと落ち合う。
前回会ったのはコロナ禍よりはるか前なので、本っ当に久しぶり。
神宮球場でのテゴマスと近藤真彦のコンサートに誘ってくれたこともあるSは、東京在住ながら渋谷はめったに来ないとか。最後に来たのは坂本昌行主演『TOPHAT』を観劇した時、とのことなので、本当に全然足が向かないようです。

10月末にもかかわらず渋谷は暑くて、曇り空でも長袖を着ていられないくらい。
道玄坂を延々登るあいだ、お互い慣れないロングスカートで躓いてました。
ドトールに入って、ランチの予約をした時間までをつぶします。

予約したのはトムボーイカフェ神泉
トムボーイカフェ渋谷神泉店

力が出た。お腹が空いていたので、Sが残したライスももらってしまった……。
お互いの近況を語りつつ、子どもの権利条約についてやら色々話し込み、12時になる前にPARCOへ向かいます。
前日に下見して時計に座標を記録していたので迷わずさくさくと進みます。

PARCO劇場ホワイエ

早めに向かっているのには理由がありまして。
PARCO劇場のホワイエ内のカフェには『チョコレートドーナツ』上演期間カフェメニューがあるのです。
当日のチケットを持っている人のみが入れる&開幕前と幕間のみ営業というタイトなお店なので、時間との戦いのです。
早めに入場できたので、ノンアルコールの『カーテンコール』を注文しました。
カシスの酸味とミントの爽やかさが鼻に抜ける、爽やかなテイストでした。美味しかった。カーテンコール実物
旧Twitterで知り合った四季さんと挨拶を交わし、プレゼントをいただいて、いよいよ劇場に入ります。

今回の席はB列17・18席。前から二列目のど真ん中です。
Sはこんな良席でいいのかと見上げた首の心配をしていましたが、私もステージとの近さに動揺してました。
渋谷での観劇、私は2010年シアターコクーンでのミシマダブル以来です。

席について、高鳴る胸を落ちつけて。
『チョコレートドーナツ』東京最終公演の幕が上がります。

チョコレートドーナツ | PARCO STAGE -パルコステージ- 2023年再演公式HP

『チョコレートドーナツ』第一幕

第一幕冒頭のルディの登場シーン、踊り子としてショーパブのステージの階段をすごいスリットの入ったゴールドのドレスにふわふわのストールを広げた両腕に巻き付けて8㎝のヒールを履いて降りてくるあの場面、見間違いじゃなかったら東山さんは階段を踏み外してました。
けど体勢は崩れず、その後も艶然とした笑みを浮かべて何事もなかったように悠然と足を運び、演技を続けました。
本当にあまりにも何事もなかったかのように進行したので、観劇のあと四季さんに確認しなければ私も見間違いとして処理したと思います。
彼が舞台役者であることのなによりの証明です。
若い時分、突発的なアクシデントにことさらに弱い己を認めた上で克服するために続けた入念な下準備と鍛錬が、役者東山紀之を支えています。

一晩のうちに運命の人ポールとベッドインし、なのに隣の部屋にひとり取り残されたマルコ(丹下開登)の処遇についての意見の相違でポールを追い出し、そしてそんなに必死に守ろうとしたマルコさえ警察に連れていかれてしまったルディ。
それでも日は巡り次の日にはいつも通り出勤し、ステージへ立つためのリハーサルをします。
ルディは『バッドガール』に合わせて婦警仕様のボンテージファッションに身を包み短鞭を振るっています。
傲慢な笑みを浮かべてサディスティックに挑発するパフォーマンスするクイーンを演じたっていいはずなのに、さすがに表情が冴えません。
ポールが訪れてルディはステージを下り、衣装を脱ぎバスローブへと着替えます。
この、観客に背を向けて武装を解くシーンが非常に象徴的で。
ルディが一番無防備な姿を観客に晒しているのです。
彼は華やかなショウビズという別世界の住人ではなく、日当で糊口を凌ぐ、我々と同じ生活者なのだと強く伝えるシーン。
これまでの大家に家賃の滞納を詰められるシーンや、アパートの壁が薄く隣人の生活音に苛まれているシーン、部屋に満足な食糧がないのが察せられるシーンなどの積み重ねが活きて反映されています。

昨晩とは逆に、ひょいっとピアノの上に乗ったルディが自分の身の上をポールに歌って語ります。
ピアノの上、ローブ一枚纏っただけの肢体で次々とポーズを決めてくるくると色々な表情を魅せるルディは実にセクシーで美人極まりないのですが(初演の際、大開脚を真正面で拝見してくらくらしてました)、全力でポールにだけアピールしているんですよね。センターの踊り子が舞台を下りて、たった一人の想い人を懸命に口説いているのが、けなげで可愛くってたまりません。「私は安くも軽くもないの」という通り、ルディって本当に乙女。

ポールに「ぼくの家に来ないか」と提案されたルディはてれってれになっています。恋人からのお誘いですもの、当然です。けれど二人の関係は従兄弟と偽る必要があります。
マルコの暫定的監護権を得るため――つまり公的にマルコを養育する権利を勝ち取るために二人は「適切な関係」でなければならないのです。

ルディとポールはともにマルコの母親がいる留置所を訪れます。
面会したルディは彼女の身の上話に耳を傾けます。
「大変だったのね」
母親は最後まで二人と目を合わせようとはしませんでしたが、その一言でマルコの暫定的監護権の譲渡に同意する書類にサインします。
ルディにとって彼女は迷惑な隣人であり、マルコを育児放棄した許せない保護者だったはずです。でも、ルディは心からの同情を彼女に向けています。
裏表がなく、隣人に手を差し伸べずにはいられない正直者。そこに保守や保身、他人の目なんて入り込む余地はありません。ポールが強く惹かれたルディの美点です。

マルコを迎えたふたりは、用意した子供部屋にマルコを案内します。
ポールが夕食を用意する間に「絵本を読んで」とねだられたルディは、即興で作った物語を歌い語ります。
マルコという少年が主人公の、ハッピーエンドのおとぎ話。
このシーンは本当に何度見ても素晴らしい。とてもいい。マルコとルディの間に通うものが確かに見える。二人は親子です。

ポールと夫婦のように、マルコと親子のように充実した幸せな日々を送るルディ。一見なんの不足もない、満ち足りた生活です。
マルコと一緒にいるために夜の仕事を辞める決意をし、歌手という夢へ再チャレンジも始めます。
でも、それはかりそめで。ポールとの関係を従兄弟と偽っているからこそ成り立つ砂上の生活です。事実ポールは職場で父親の既知である上司に再婚を勧められ、相手をあてがわれそうになっています。
ルディの不満はハロウィンの晩に爆発します。
「私はポールの妻です。――これは差別よ!」

ポールの家を出たルディは、以前のアパートでマルコとふたりで暮らし始めます。
「ポールのお家には戻れないの?」
塞いだマルコが訊きます。
二人でここで暮らしていくのだと強がるルディですが、本当はマルコと同じ気持ちです。ポールと一緒にいたい。けれど、どうしても譲れないものがある。
役人が部屋からマルコを連れて行ってしまいます。悲観に暮れるルディのもとに、なんとポールが訪れます。
「仕事を辞めてきた」
ルディの潔さに影響されて、ポールは思い出したのです。社会を変えたいという志を。

『チョコレートドーナツ』第二幕

今度は同性愛者のカップルとしてマルコの永久的監護権を公に求めることになったルディとポールは保護司の元を訪れます。
ミルズ家庭局長の質問に答えるルディは、どうしても茶化しや混ぜっ返しをしてしまいます。ポールが公に自分を恋人だとカムアウトしたことで、嬉しくて浮かれているのです。

「ぼくは仕事を辞めたんだよ!?」
今までの人生を投げうったポールの立場と覚悟を理解したルディは、人が変わったように真摯な態度に改めます。

覚悟をきめて裁判に挑むルディとポールの前に、ランバート弁護士が立ちはだかります。
ランバートはポールの大学時代のラグビー部の先輩であり、ポールと自死した先輩との間の出来事も知っているそぶりです。
このランバートは言葉巧みに、証言台に立ったキャリーやルディからほとんど誘導に近い証言を引き出し、ことを有利に運んでいきます。

へとへとに疲れたルディとポールは帰宅して服を脱ぎ、同衾します。
全然恋人らしい時間が取れないと零すルディの両頬にポールは手を寄せて、彼を振り向かせてキスをします。
二人はさらに情熱的なキスを交わし、お互いを確かめ合います。

恋人との満ち足りた時間を過ごした夜、ルディは夢を見ます。マルコを失う夢。
いてもたってもいられなくなったルディは電話越しにマルコと約束します。
「来週、必ず迎えに行くからね!」

ポールが凄腕の弁護士を迎えて挑んだ日、裁判所にはポールの上司であるウィルソンが現れます。彼と組んで根回ししたランバート弁護士はマルコの母親を証言台に召喚したのです。

「実の親には勝てない」
傍聴席で見ていたマイヤーソン判事(高畑淳子)がいう通りの結果です。納得できないルディに、彼女は更に言葉をかけます。
「また法廷で会いましょう」

ルディはひとり、古巣であるショーパブに足を向けます。
エミリオ(エミ・エレノオーラ)のピアノに促されて胸の内を歌うルディ。
「愛なんてどこにもないの」
やさぐれた役を演じる東山紀之って頽廃的な耽美を求められることが多くて(役の性別問わず。『さらば、わが愛 覇王別姫』が代表)、それはそれで大好きなんですが、こんな生活者の悲痛なままならなさで魅せる役者になったのかと驚きます。
初演のときも感じたように、新境地です。
抑え込んでいたありったけの胸の内を吐き出したルディのもとに、ポールからの便りが届きます。
ポールは上告の準備をしていました。彼は諦めていなかったのです。

しかし、次の裁判が開かれることはありませんでした。冒頭でポールが皆に「知る必要がある」といった通り、養護施設を飛び出したマルコは、三日三晩街をさまよい歩き、帰らぬ人となってしまったのです。

ボーカリストとしてステージに立つルディは、全身黒に身を包んでいます。魂を込めて歌う『I Shall be Released』には、怒りと鎮魂が込められていました。

終幕。

雄弁なルディ、その光

ポール役の岡本圭人が東山さんを「光という感じ」と評していたわけですが、アイドル東山紀之は気付けば周囲を明るくしている、静かな月の光です。
対照的にルディはギラギラと自ら発光する太陽そのもの。動くエネルギー体です。この差について東山さん本人は「(ルディには)明るく楽しい、僕の中にはない表現がたくさんある」と仰っていて。確かにそうなんですが、ルディという役は確かに役者東山紀之が生み出したものでもあって。そこがすごく面白くって楽しい。
そんなルディが開店前のショーパブでピアノに合わせてひとり悲しく歌うシーンでは、劇中ほぼ全編でポジティブな印象の彼が、珍しくとてもナイーブで内向的な面を見せています。正直なルディは、傷つく時も全力で、驚くほどに雄弁。
東山さん本人は弁がそれほど多い質ではないので(人の注目を集めていてもいつまでも平気で無言のまましらっとしていられるのがチャームのアイドル。少年隊のコンサートのMCで一言も喋らなかったエピソードなんて、あまりにらしくて想像するとにこにこしてしまう)、いつだって演じている時のほうが雄弁ですが、にしてもこんな顔はここでしか見られません。

ふたりのポール

2020年の初演で谷原章介さんが演じたポールは、疲れたサラリーマンでした。その気疲れっぷりはクローゼットゲイのしんどさが良くわかる表現で、とても好ましい。出逢った夜にルディの部屋に押し掛けたくせに、自分のことを聞かれたらとっさに嘘をついてしまうところなんて特に、理想のヒーローではない、等身大の市井のひとなのだなと感じられて。でっかいなりでおどおどしているので、ルディに「とんだクラーク・ケントだわ」と言われてしまう。そんなポールが勇気を出してルディを口説いてふりまわされまくって、どんどん変わっていって肝心なところで甲斐性をちゃんと見せる。それはルディも惚れなおしますよ。一種のやれやれ系主人公ですね。
初演ではベッドでのポールからのキスも、ほわっと胸が温かくなるリリカルさなのが嬉しくって。ああポールがルディに捧げる愛ってすっごくすっごくきれいなんだなと思えて、あのとき感じたときめきを3年経った今も胸に抱いています。
そんな谷原ポールがルディと本当に相性ぴったりだったので、再演キャストが発表された時に「東山ルディのポールは谷原さんじゃなきゃヤダヤダo(><;)(;><)o」と私の中のCP厨が暴れていました。
岡本圭人さんのポールは、パワフルなルディと対等に付き合える気力体力共に充実した前途ある青年です。
大胆に誘ったくせにルディに嘘をついてしまう谷原ポールの卑近さが私はとても好きでしたが、観終わってみると圭人さんのポールのひたむきな情熱が心に残って、いいなって思いました。
谷原ポールがルディに向ける愛は包容力で、圭人ポールが向けるのは恋人の情熱。

マルコについて

トリプルキャストのうち、千秋楽のマルコ役は丹下開登さん。
舞台のムードメーカーで、8回ほど続いたカーテンコールで泣いたり笑ったり、「もっともっと」とでもいうようにジェスチャーして観客を盛り上げたりと大活躍でした。
すごく楽しそうで、動いている姿に自然と笑みがこぼれる。大役お疲れ様でした。

マルコの母親、マリアンナについて

マルコの母親であるマリアンナ(まりゑ)はルディと鏡合わせの存在です。どちらもイタリアにルーツを持つ移民。ルディはオプティミスト、アンナはペシミスト。ルディは泣いても翌朝には振り切って前を向くけれど、アンナは去ったものをいつまでも見つめ続けている。
本当にそれだけの違い。だから家族に置いていかれひとりぼっちになったルディは、アンナになったかもしれないくて。ルディってアパートの隣人だったマリアンナにはあんなに悪態をついているのに、留置所で面会した時には穏やかな慈愛に満ちた目でマリアンナと対峙しているんですよね。

『I Shall Be Released』で謳われる「自由」とは

ルディが歌うラストソングは、ボブ・ディランです。
この場面、ルディはマルコへの鎮魂と怒りを込めて歌っています。
怒りは社会に向けられています。理不尽・不公平・不平等……それを平然と看過し、虐げていることに気付きもしない人々へ。
解放されるのはマルコとポールのために封印された本当のルディであり(「人が変わったように」というポールのナレーションがありましたね)、我々でもあります。

ここで、観客の話をしましょう。
舞台『チョコレートドーナツ』において、われわれ観客の感情移入先は誰でしょう?
主人公のルディはヒーローでヒロインです。皆ができないことをするから憧れなので、感情移入先はルディ以外の登場人物になります。
初演なら、ルディの相手役であり語り手でもあるポールが観客の視点を代弁していると言えるでしょう。私は私の代弁者として谷原ポールが大好きです。
ルディとポールの監護権請求を棄却する、血のにじむような判決を下したマイヤーソン判事。自らを「モンスター」と呼びルディに愛憎をぶつけるショーパプの踊り子・キャリー(穴沢裕介)こそが現実のマイノリティの代弁者かもしれません。
社会のホモフォビアによって枷をつけられているのはルディたちだけではないのです。

マルコの永久的看護権を請求した裁判の控訴において対したランバート弁護士。
このランバート、世間のホモフォビアを知りすぎるほど知り抜いた上で利用する、イタリアブランドの三つ揃いに身を包んでいるような伊達男です。
初演の堀部圭亮版は線が細く櫛目通ったタイプ、再演の浪岡一喜版は手入れされた髭を蓄えた漢らしいタイプ。どちらも共通しているのは、ランバート役の役者はルディが勤めるショーパブの常連も演じていること。泥酔して衣装を吐瀉物まみれにした、帽子で顔が見えない客ですね。
客に衣装をダメにされて悲鳴をあげる踊り子に、オーナーのパパことラウル・ベニーニは言います「泥酔していても、大切な常連さんなんだから」
素面ではゲイのためショーパプに訪れることができないけれど通わずにはいられない、世間のホモフォビアを内面化してしまった彼。
ルディとポールとマルコの仲を決定的に引き裂いたランバートさえ、苦しんでいるクローゼットゲイな可能性がある。
彼にも、ポールのように変わることのできる道があるかもしれない。
『I shall Be Released』は世間の偏見に苦しめられているすべての人々の魂の解放を歌っているのだと思います。

『チョコレートドーナツ』の時代背景

1978年、アメリカ合衆国史上初のオープンリー・ゲイの公職者であるカリフォルニア州サンフランシスコ市市議会議員ハーヴェイ・ミルクがこの世を去りました。ハーヴェイは暗殺、ゲイへのヘイトクライムの犠牲になりました。
『チョコレート・ドーナツ』はその翌年に舞台が設定されています。
ルディのラストパフォーマンスには、プライドのスピリットがあります。
『I Shall Be Released』の解放releasedとは、ゲイ解放運動、つまりマイノリティの人権回復運動です。
当然人種差別も射程範囲。
ルディはイタリア系移民、同僚であるキャリーはドイツ系移民(ファミリーネームはシュワルツネッガー)。
ルディの両親が彼を手放さなければならなかった背景には、移民の貧困があったのは想像に難くありません。
ルディは裁判で、公民権運動のリーダー的存在だったキング牧師の言葉を引用します。
ポールが依頼したロニー・ワシントン弁護士(矢野デイヴィット)がアフリカ系アメリカ人として黒人差別とゲイ差別を並列して語るように、すべての歴史は繋がっているのです。

「なんて救いがない話なんだ」

観劇後の喫茶店で「東山さんて実在したんだ」「脚が誰よりも真っ直ぐだった」と感想をこぼしたSの続く言葉がこれでした。
この作品、マルコはルディに会えないまま星になってしまう結末なんですよね。
私は結末を知った上で舞台に臨んでいるのでそこまで気にならなのですが、確かに救いがない。
おそらく、原作映画の脚本兼監督のトラヴィス・ファインは誠実であろうとした結果、こういう結末を選んだ(言い換えればこれしか選べなかった)のはないかと思っています。
1970年代後半にゲイカップルが家族になること、公に子どもを持つ過程をシミュレーションしたのが本作で。30年以上経過した現在でもルディとポールとマルコが望んだ形は、残念ながら「当たり前」ではありません。
映画公開当時の2012年のアメリカでは同性婚こそ認める州が増えてきていましたが、依然同性カップルが養子を迎えることを禁ずる州がある状況でした。
そうした理不尽でどうしようもない現実に生きる者として、たとえ創作であってもファインは嘘がつけなかったのではないかなと私は思っています。

終わりに

悔いのない一日にしよう。そう決めて挑んだ舞台で、達成できたと思います。最高の舞台、最高の千穐楽でした。

リンク

チョコレートドーナツ | PARCO STAGE -パルコステージ- 2020年初演公式HP

東山紀之 ラスト舞台に見た「生涯ヒガシ」の確信 ミッツ・マングローブ | 概要 | AERA dot. (アエラドット)
当時劇場限定販売だった少年隊『WINDOW』シングルCDを持っている筋金入りのファンであるミッツ・マングローブさんの舞台チョコレートドーナツ評と、あまりに的確なヒガシ評。

2023年版舞台「チョコレートドーナツ」をご観劇の皆さまへ|宮本亞門流★演出術を盗む
何故旧ジャニーズ事務所所属のタレントの出演する舞台を演出するのかについて宮本亜門氏が答える記事。

『首』における曽呂利新左衛門の話

※以下映画『首』の展開に触れます。

・なんだか元気になる
さくさく人が死ぬのに観ててすごく楽しいな、とうきうきしていました。
友人が「『とにかく面白がらせてやろう!』という気迫を感じた」と言っていましたが、殺伐とした血で血を洗う戦国の泥沼愛憎劇を、徹頭徹尾エンタメにしてお送りされているんですよね。
おかげでゴアのやだみを感じる余裕もない(大画面で冒頭の遺体の断面に蟹が這う様には「ひっ」とひきつった声が出ましたが)。
人生が現代よりずっと短い時代、いつ死ぬのかわからないという状況がそうさせるのか、皆懸命に生きてるんですよね。エネルギッシュ。
友人の言「秀吉の大返しに馬なしでしっかりついてきてた娼婦&娼夫、ガッツがありすぎる

・曽呂利新左衛門はなぜ死んだのか
『首』は人の命が軽い不条理な時代の話であり、虚しさがテーマになっています。
しかし作中時間を割かれて描かれる登場人物たちは斎藤利三であれ茂助であれ各々の背景が描かれた上で、生きざまを象徴するような見せ場としての劇的な死に様が描かれています。
なのに曽呂利はあっさり幕切れ。情緒もありません。相討ちというシチュエーションならもっと演出されていいはずなのにさらりと退場してしまいます。
『首』において曽呂利は何故あのような退場をしたのか。
曽呂利は定住地を持たない根なし草。身一つで稼ぐ術を持っている香具師です。口が上手くて、目も耳も確か。顔も広く、「絶対死ぬぞ」と言われたミッションも気負わず引き受けてこなした上、生還してしまう。悪運まで強いんですね。
曽呂利に決死の過酷なミッションを課したのは秀吉です。笑いながら命じているのでなかなかに酷いですが、裏を返せば秀吉は曽呂利には本当のことしか言っていません。つまり曽呂利を自分と対等に話ができる人間だと認めている。さらに寝所に入れるくらいには信頼もしているのが描写されています。
けれど聡い曽呂利は、光秀と秀吉が事を構えるとなると、さっさと秀吉の元を離れてしまいます。
光秀と秀吉では力量が拮抗しており勝率が五分と五分なので。
侍ではない曽呂利は損得でしか動きません。勝ち馬ではない秀吉には用がないわけです。

これこそが、曽呂利が退場した理由です。

侍の頂点にいる織田信長、誰よりも侍らしい明智光秀、そして侍の価値観に馴染めずにいるものの侍として天下を取るつもりの羽柴秀吉。
信長は配下の心が己にあるかをとても気にしており、モチベーションがそこに集約されています(反面、俗世のしがらみにうんざりしておりきている)。権力の頂点に君臨しすべてが思うがままなのに(あるはそれゆえにか)、前髪を切って元服すべき年頃の森蘭丸をいまだに稚児として寵愛し、都度都度己への真心が返ってくるか確かめている。権力で無理矢理従わせるのでは嫌で、全き愛が欲しいのです。
光秀は、長年連れ添って一心に尽くしてくれる荒木村重を「天下のほうが大事」とあっさり棄てるわけですが、その光秀の謀反の原動力にしても「信長が己の理想とした信長ではなかった」という信長への屈折した愛。城中で憂さ晴らしに信長と蘭丸のコスプレさせた平民を殺しているという、憧憬と崇拝がねじくれて煮詰まり極まった末の執着をただ信長に向けている。光秀はユダなのか。
そんなことで戦が勃発していてはたまったもんじゃないし、端から見ていても馬鹿馬鹿しいわけですが、しかし信長も光秀も本気です。命をかけてやっています。秀吉は侍連中みな馬鹿だと内心コケにしていますが、天下を取るためなら侍相手に道化にだってなってみせる必死さ。
農民あがりの茂助にしても、しでかすことは見当違いばかりですが懸命です。
己を抜き身の剣としてぎりぎりの鍔迫り合いをしている侍たち。
一方、曽呂利の本気というのはまるで見えません。ずっと冷めて俯瞰で物事を見ている。
自分を買って目をかけてくれた秀吉への、なにがしかの感情さえ窺えない。
人の情がない。
なのであっけなく死んだのです。

江森三国志ファン必見!! 映画『首』は英雄譚の◯◯である

江森三国志Fanは映画『首』を観に行ってください。正しく英雄譚のやおい読み替えでした。
江森備の長編小説『天の華・地の風』、通称江森三国志は、過去の疵により成人後も男に抱かれずにいられない性を持つ諸葛亮孔明が、己を抱いた男が軍師孔明をも掌中におさめたと錯覚し政の場でも支配しようとすると、たぐいまれな知略でもってその男を謀殺していく大変な名作です。
要するに男性間の政(まつりごと)の場での攻防がプライベートの色事の駆け引きを想起させ、事実読み取りが可能で命のやり取りに繋がるので実にスリリングなのです。
映画『首』もまた、主君への忠誠の証明、権力争い、公の行動言動すべてが武将たちの愛憎劇になっています。比喩ではなく、本当に政が同性間の恋愛と情欲に直結している。
主人公がトラウマを抱えた深謀遠慮な知略家だったためにシリアスな大河長編だった江森三国志に対し、天下人信長への「愛」を競う武将たちの集団(ボーイズクラブですね)から一歩引いてる羽柴秀吉(ビートたけし)が主人公の『首』なので、かなり直情的というかそのままお出しされています。裏なんて読む必要がない。身も蓋もないともいう。
作品自体、男たちが夢中になっている男同士の意地と見栄による張り合いや嫉妬による足の引っ張り合いのくだらなさ、馬鹿馬鹿しさに自覚的なのを軍師黒田官兵衛(浅野忠信)が秀吉と秀長(大森南朋)を見る視線の温度が物語っています。
そして両作品、物語を貫く価値観が共通しています。
歴史上の英雄たちも俗世を泥臭く這いずり足掻く人間である。そこには英雄はいません。皆、儘ならない日々を生きる血の通った只人です。
武将たちの偶像としてのイメージを使っていながら卑近な俗物に落とし込む。描き方が気に入らない人はいるでしょうが、私は気に入りました。皆が我武者羅に懸命に生きている姿がとにかく魅力的で。
『首』、すっごく楽しかったです。

真船一雄先生トークイベントレポ

真船一雄氏サイン会&トークイベント受付座席番号が書かれた腕輪秋田県横手市増田まんが美術館で開催された漫画『K2』の作者・真船一雄先生のトークイベントに行ってきました。
観光ということで浮かれ、まっ昼間から日本酒の試飲などして戻ってきたら、すでに会場前は長蛇の列。

電子チケット・美術館からの座席番号メール・身分証・イブニング展チケットをスタッフに提示して腕輪をもらう。
予定より少し遅れての入場です。

向かって左から増田まんが美術館館長・大石卓さん、イブニング最後の編集長土屋俊宏さん、真船先生、そして真船先生担当イブニング編集者・渡部和宏さんの席になっています。
午後2時になり、会場に集まった100人を越えるファンが真船先生を拍手で出迎えてイベントがスタートしました。
大石さんの司会で進行します。

・そもそも、なぜ秋田でイブニング展を?
増田まんが美術館には建館に際し『釣りキチ三平』でお馴染みの矢口高雄先生との超格好良いエピソードがある。
イブニングでは矢口先生最後の原作となる『バーサス魚神さん』を連載していた。
そういう縁で、土屋さんはもうここに6、7回来ている。今回のイベントは、土屋さんが仕事で渡米する前の最後の訪問。
真船先生は増田まんが美術館の膨大な展示に、「一度にこんな多くの先生がたの原画を見るのが初めてで、圧倒されました」とのこと。美術館の存在をご存知なかったそうです(当たり前)。
廃刊というのは寂しいものだけど、こちらの展示を見るとお祭りみたいに温かく見送ってもらっているようで嬉しい、とのお言葉。

・参加者からメールで募集した真船先生への質問
大石さん「直前になったけれども、300以上の質問が集まりました」
私も一生懸命考えて4つに絞りました。選ばれませんでしたが、先生の目にとまってるといいなぁ。

・真船先生について
真船先生はスーパードクターK単行本のキャラクター図鑑のイラストからイメージがお変わりなかったです。
先生のプロフィールがスクリーンに提示されます。
神奈川県出身、58歳おとめ座。
家族は4人(妻・子2人)で猫を飼っているそう。
好きな食べ物は貝柱・椎茸のいしづき。嫌いな食べ物は全くなし。
デビューから今まででこういったサイン会は実質初めてとの発言に湧く会場。
先生の話しぶりは流暢かつ雄弁で、すごく聞きやすい。

・真船先生の執筆環境
先生は完全アナログ……!
そうですよね、イブニング展で原画を拝見したのでそうかなと思ってました。
今さらデジタル移行はむりだよ、とのことです。連載中のスケジュールなら尚更ですよね。
K2を隔週連載している先生のスケジュールは、1週間ネーム&構想、1週間作画の繰り返し。
構想を練る時は周りに人がいるとだめだという先生。
先生「作画のとき、歌詞のある音楽は厳禁。引きずられてしまう。映画のサウンドトラックを流している。音楽にも波があり、クライマックスが描いてる漫画の流れが一致したときは、ひとりで盛り上がっている」
ストーリーを先生が考え、それに合った病気を編集である渡部さんが探し出し、ああでもないこうでもないと試行錯誤していくうちにストーリーが出来上がっていく。
先生「集めた膨大な資料を全部使うと論文になっちゃう。取捨選択して、どこを使いどこを切り捨て漫画に落とし込むのか」
渡部さん「医学的に誤りがないというのがK2。真船先生も蓄積があって医学知識が豊富だが、医学監修の原田さんには手術の際の患者の体位、メス、カンシの位置、薬剤の量などを訊く。これらは医者でないとわからない」
真船先生「医学については、今はとても調べやすくなっている。スーパードクターKの頃の医療監修である中原とほる先生は名作『ドクトル・ノンベ
』を描いていらっしゃる漫画家でもあって、漫画におけるついていい嘘、リアリティラインの線引きがとても丁寧な人。(中原先生)『この術式とこの術式を組み合わせる。現実にはできないけれど、もしすごく手の速い執刀医がいたらできる』。これはスーパーなドクターなのでできます、と」

・好きなキャラクターについて
先生のお気に入りは高品(龍一)と富永。
ここで会場のFanに、二人のうちどちらが好きかを挙手で訊く。人気は拮抗。
先生「主人公は神なので迷わない、間違えない。だからその周りを読者視点で衛星みたいにぐるぐるまわるキャラクターを置く。これを無能に描くと嫌な話になりやすいのでしない。僕の表現では、年下のしっぽぶんぶん振っているような描きかたになる。高品(龍一)先生はお年を召しているので、今後は息子の龍太郎くんをもっと愛らしく描けるよう頑張ります」

・好きなストーリーについて
先生「思い出深いストーリーは、キャラクターの退場シーン。K2では二人退場させたが、うまく描けたと思っている」
この二人、富永研太と、あと和久井譲介だと思ったのですが、ドクターTETSUの再登場が予定されているということはもうひとりは譲介じゃなく黒須麻純ですね。ということは富永は「退場」していないので(村の診療所を卒業したあとも何度も登場している)、相馬教授のことを指してるんじゃないかな。

・N県のモデルは?
舞台であるK先生の診療所があるN県T村。別名・医療因習村
先生「実際の県名を挙げると差し障りがあるので……日本の真ん中にあるところです」

・漫画家&編集者に互いの印象を聞いてみる
真船先生「渡部さんは訊いたらなんでも答えてくれるし必要な資料は集めてくれる。悪魔のような編集もいるが、渡辺さんは天使」。
真船先生の担当・渡部さん「こんな楽な仕事があっていいのか。真船先生は天使のような漫画家。原稿は落としたことがないどころか、遅れたことがない」
土屋さん「雑誌に20頁の穴が空くとなる一大事で、僕たちは方々に頭を下げてたなんとか原稿をかき集めなければならない。だから僕たちにとって先生は天使で神様のような存在。頼むと(雑誌の)表紙も描いていてくれる。2020年、コロナ禍で、イブニングの表紙(イブニング2020年12号)をK2が飾り『すべての医療従事者へ。君たちがスーパードクターだッッ!!!』とメッセージをつけたら、大反響があった」
どうやらイブニング編集部では、スーパードクターK、ドクターK、そしてK2は3作まとめてシリーズ「K」で通っている様子。真船先生は毎回作品名を呼び分けて説明していらしてました。

アシスタントは、過去に4人だったこともあるが、連載をK2一本に絞った現在は3人。付き合いの長いベテランで、阿吽の呼吸。作業中、会話はない。
そんな真船先生の作画時の1日のタイムスケジュールが映し出されると、会場がざわめきます。
執筆20時間、睡眠4時間。
先「作業中にうたた寝はしてますよ」
土屋「これがあるから、(雑誌の表紙を描いてくれとは)言いにくい」
先生「『おはよう!時代劇(午前4時台・テレビ朝日関東ローカルの再放送枠)』を見てから寝る。11時にはスタッフが来るから準備するために起きる」
全員からの「寝てください」コール。先生、本当に寝てください。
渡部さん「こんなスケジュールなので医療の現場に取材に行っている暇はないです」
しかも、デスクの下においてあるエアヴェーブ(マットレス)の折りたたみを広げて寝る…と。
先生「すぐ眠れて効率がいい」
作画をしてると「ここを少し直そう」が沢山出てきて、集中してしまうそうで。先生は真面目、というのが共通認識でした。
ちゃんと寝てください。

・スーパードクターK、ドクターKの掲載誌は少年誌。K2から青年誌であるイブニングに移行したのは?
真船先生「イブニングを立ち上げた初代編集長が、僕をビシバシと鞭で鍛えた悪魔の編集。悪魔だけど、不思議とあの若い頃の鞭が血肉になっているのを実感する。
2004年、僕はドクターKのあと少年誌で2本連載を失敗している。その時に声をかけてくれた。青年誌でなら、今までできなかった表現もできるんじゃないかと。
ドクターKの最終回は最初期に決まっていて――公園で悪ガキどもがわーっと走っていて、ひとりが転んで怪我をする。そこに屈んでバンドエイド…っ言っちゃ駄目ですね。絆創膏をぺたっと貼ってあげる――という構想は連載当初からあった。編集部に話したら『すごくいい。すごくいいですが、最後に残しておきましょう。』と。そこにたどり着くまでに10年かかった。医療ものだと何年後という設定は出しにくい。治療方法がかわるので。けれどこれは、普遍的だから。K2については、最後は考えていない
一也というキャラクターを通じて、先代Kの若い頃をもう一度丁寧に描き直しているようでとても幸せ。丁寧に描いていきたい」
これを聞いてまだまだ連載を追えると嬉しかったのですが、そのためにも先生はちゃんと寝てください。

・作中の秋田描写について
「うれしいですけど、なんでわざわざ秋田に来てくれたんですか……?」という秋田県人として真っ先に浮かぶだろう質問があって、会場の笑いを誘っていました。同じ秋田県人としてよくわかるよ…すっごく広くて何もないもんね、秋田県。今回大分県からいらっしゃった方も会場にいらしたそうですが、さぞ遠くて大変だったと思います。
答えは、先生の細君である伊藤実先生が秋田県出身だから。伊藤先生はスーパードクターKと同じ週刊少年マガジンに『おがみ松吾郎』を連載されていた漫画家です。

『どぶてけし』(伊藤 実)|講談社コミックプラス 
全編秋田弁で通している野球漫画。

K2の主人公のひとりである一也の友達である緒形くんは秋田出身という設定で、同県出身者が読んでも違和感のない描写がすっごく気になってたんですよね。だまこ餅はご贈答用だとか。
この辺の描写の添削は伊藤先生の担当だそうで。
伊藤先生は現在漫画のお仕事はされておらず、真船先生のアシスタントもやっていないそうです。
真船先生の生活習慣には思うところもおありのようで……「でも真剣に打ち込んで描いているので(とめられない)」

・K2作中で扱った膨大な数の症例
渡部「K2で扱った症例の全データを作ったことがある。今後被らないようにって。けど、こーんな厚みになっちゃって(指で紙の厚みジェスチャー)。もう被らないようにってのは無理です」
確か今年3月にコミックDAYSで全話無料配信が始まったときも、ファンが分担してK2症例全データをテーブルでまとめていた記憶が…… 公式サイドも作ってたんですね。
先生「同じ病気でも医学は日々進歩していて、時間が経てば術式が変わる。当然描きかたも変わるので、被りはあまり気にしなくていいかなと」

・頸椎症のエピソード
真船先生「首が痛くて痛くて、多分頸椎症だなと思って病院に行ったら、担当の先生が素っ気ない」
医者「もし本当に頸椎症なら、首にぐるっとカラーを巻いて固定しなきゃいけない。この暑い夏に本当にやるんですか?」
真船先生「(むっとしつつ)それをすれば直るっていうなら、やりますよ」
真船先生がレントゲン室で写真を撮って帰ってくると、うってかわって医者がしょんぼりしている。
医者「あの……真船一雄先生ですよね、漫画家の。スーパードクターK、子どもの頃から読んでます。……首については、様子を見ましょう」
応対がガラリと変わった。
先生は「診断に手心を加えられたわけではない」と医者をフォローされてました。

・急性膵炎のエピソード
先生の衝撃の睡眠時間に関連して、数年前に身体を壊されたというお話。
先生「急性膵炎と言って、膵臓から出る膵液という消化液が内臓を溶かしてしまう。根本的な治療方法はなくて、入院して絶食してして膵液が出ないようにするしかない。急性膵炎はお酒を飲むひとがなりやすいが、僕は週に一二度しかお酒を飲まない。そう言うと、先生(医者)は、『なるほど、分かりました。それでは甘いものがお好きですね?』って」
当時先生はシールが欲しくてポケモンパンを買って、ずっと食べていた。それが原因だったと。
というわけで、前述の先生が好きな食べ物にはポケモンパンも入ります。
……進行上、若干の笑い話として紹介されたエピソードだし、ポケモンのシールを集めてる先生は確かにキュートかつチャーミングですが、本当に笑い話じゃすまないですよぉ……からだだいじに……!

・紙のコミックスについて
「無料配信でハマりコミックを集めたいが、どこにも既刊の在庫がない。紙で欲しいので重版して欲しい。そのために私たちに何ができますか?」という質問
土屋さん、渡部さんから生々しい内部事情が語られます。大方予想通りでした。
コミックDAYSで配信している間、新刊コミックは出すので安心してくださいとのこと。K245巻は7月発売だそうです。

・ネットでのバズりについて
K2がネット上でバズっていることについて、編集部は把握しているとのこと。
土屋さん「3月に全話無料配信を始めると、コミックDAYSで連日首位を独走」

2023年3月8日午前4時 コミックDAYSランキングのスクリーンショット

2023年3月8日午前4時 コミックDAYSランキングのスクリーンショット 1位 K2 2位 1日外出録ハンチョウ 3位 宝石の国


土屋さん「(週刊少年)マガジン、イブニング、コミックDAYSと連載媒体が変わってきた、真船先生はいわばタイトルホルダー」

キャラクターに突っ込んだ質問は次の機会にという司会である館長の言葉を信じて待っています。

司と三島

三島由紀夫は、日本で一番有名な同性愛者です。
三島は徳川家に仕えた大名の後裔の家に嫡男として生まれ、祖母に溺愛されつつ厳しく育てられました。
学習院に進学し、東大法学部卒業後は大蔵省に入省したエリート官僚です。
学生時代から天才と称された文学家であり、代表作として小説『仮面の告白』『禁色』等があります。
個人の読書歴ではミシマダブル*1上演の際、戯曲『サド侯爵夫人』『わが友ヒットラー』を読み込み、手元には学研M文庫版『黒蜥蜴』*2があったりする程度です。
閑話休題。
大蔵省退職後、三島は作家業に専念し、歌手・俳優・映画製作と多才に活躍する一方、ボディビルで身体を鍛え武道を修得します。
己の感受性の強さを嫌悪し克服するため古代ローマ帝国の男性美に憧れたのです。
右翼思想家として自衛隊隊員の若手を牽引し『盾の会』を設立、自衛隊駐屯地にて割腹自殺をし、45歳の生涯に自ら幕を閉じました。

ドラマ『夜に抱かれて』において高島政宏が演じる麻桐司は山梨県の良家に嫡男として生まれます。
成績優秀で面倒見がよい兄貴肌で、東大卒業後外務省に入省。エリート中のエリート、リーダーとしてトップに立つべきで男の中の男である一方、高校時代の親友である神谷流星に恋焦がれて忘れられないでいるというナイーブな一面を持っています。
語学堪能で教養があり『夜に抱かれて』の登場人物中唯一、趣味で本を読んでいる描写がある文学青年です。つまり誰にも立ち入らせない内面世界を持っているんですね。

第2話のタイトルが『禁色の告白』であることからわかるように、麻桐司の基本的原型は三島由紀夫です。
三島は同性愛者なのですが、本名平岡公威としては妻も子どももいます。三島の意思で結婚し夫婦仲は良好だったようです。
しかし昭和最後の年に成人した司には名前が一つしかないので、二つの顔を同時に持つことできないのです。
だからこそ流星からの決定的な拒絶(第6話)と傷のエピソード(第7話)は対で、司にとって絶対に必要だったのです。
司の内面と外面のずれは、そのままにはしておけないほどの亀裂なのです。

昼の世界と縁を断ち夜の街で生きている司は、しかし自分を受け入れたわけではありません。
電話口でオネェ言葉を使う柿崎に過剰な反応を見せるように(第1話)、司は、己の中にある柔らかい部分を嫌悪しているのです。
その柔らかさとはつまり流星に直結するわけですが、司は流星に強く惹かれていながらも自ら向き合うことはしていません。
第2話における告白を思い出してください。司は、流星が自分と同じ夜の世界に落ちてこなければ胸の内を告白するつもりはなかったのです。
再会に懊悩する司が己の鏡像として流星を見ていたように(第1話)、司にとって流星とは、向き合いたくない自分です。
二人きりでいたいと言って流星を監禁しながらも、司は全く幸せそうではありません。
俗世とは隔離された状況下、アイデンティティの根幹である想いを拒絶された司は、抜け殻になり自死を試みます。
代わりに剣が傷を負うことになり自死は未遂に終わりましたが、ここで司がホストになった理由がやっと明かされます。
「男に惚れている自分を受け入れられないから、男を売って確かめようとした」。
流星に惚れているのに、そんな自分が認められない。
この二律背反が司のテーマです。

命を絶てなかった司は、俗世に戻り流星とはライバルとして向き合うことになります。
内面は深く傷ついているのに、完璧なNo.1のまま。そして司はホストとしての命である顔に永遠に消えない傷を負うことになります。
傷を負った司は流星に対し気丈に振る舞いますが、それは虚勢です。
事実、己の傷の深さを確認した司は悲鳴をあげ、誰にもそれを見せようとしません。
そのままホストをやめようとします。逃げようとしたんです。格好をつけて、格好良いままで。
苑子はそれに気付いて、半ば無理矢理司の傷を暴きます。このシーンは、拒絶する流星の手首を掴んでベッドにはりつけにした司と相似です。
ただ、同じ状況でも失うものはもうないと覚悟を決めている流星は己を保てているのに対し、司ははっきりと取り乱しています。
実は司は堕ちるところまで堕ちていなかった。己をさらけ出せていない。
覚悟を決めた司は、傷を負った己の顔を初めて正面から見据えます。
司が流星の前で客がひとりもつかない姿を曝すという第8話以降の展開は、初見では流星のもつ劣等感――司の後ろで小さくなっている、親友といいながら対等ではない、愛しているのに憎んでもいる自分のどうしようもなさ――を解消するために必要な立場の逆転だと思っていたのですが、真に必要としていたのは司のほうだったのです。
己の受容のために。
男に惚れていても、完璧な男でなくても麻桐司は麻桐司として生きていけると証明するために。
内面と外面を統合した完全な麻桐司は、晴れやかな顔で親友神谷流星の隣にいます。

幼少期、三島は可愛がっていた猫を父親に棄てられ、餌に毒を盛って殺されそうになった経験があります。*3
三島が親の愛情を受けながらも、その所業に傷つかなかったわけがなく、彼が嫌悪した己の感受性とはこうしたところだっただったと私は推測します。
「猫、飼ってもいいかな?」
居候になった流星の、おそるおそるの懇願。司が、誰にも渡したくなくて腕の中で大切に守りたかった流星って、これなんでしょうね。

 

 

※1)2011年2月シアターコクーン上演。舞台における東山紀之の代表作。 ミシマダブル 「サド侯爵夫人」「わが友ヒットラー」 |渋谷文化プロジェクト webarchive

※2)三島由紀夫「黒蜥蜴」,2007,学習研究社,ISBN978-4-05-900459-2
2003年ル テアトル銀座にて上演された舞台『黒蜥蜴』の、高嶋政宏演じる明智小五郎の写真が収録されている。

※3)参考 平岡梓「伜・三島由紀夫」,文藝春秋,1972,p71-72

夜に抱かれて 第5話

第5話 ゲームの報酬

司のマンションにやってきた土橋建設社長の元愛人チホは、タイミング悪く忘れ物を取りにきていた苑子と鉢合わせることになり、司と流星の策略が発覚してしまいます。
怒って帰るチホ。
「怒ってる? 俺たちのこと」
苑子に内緒でゲームを仕掛けていたことを恐る恐る訊く司。苑子は、怒っているのは自分にだと返します。
ゲームオーバーだと言う司に対し、流星はチホが忘れて行った手帳を手に、諦めないと宣言します。
「苑子さん、傷ついちゃいませんか? このまま引き下がっちゃ、苑子さんの値打ちが下がります!」
止めようとする苑子を制する司。
「金と女の絡んだ修羅場はホストにはつきものだ」
締めるところは締めて、手を離すところは離して流星の自主性に任せる。司は実に理想的なコーチです。
流星は手帳にある連絡先を虱潰しにあたり、閉店前の『キス100万回』にいたチホを捉まえます。
驚いてドアを閉めようとするチホを逃がすまいと、流星は重たそうなドアの隙間に片足を突っ込み、当然挟まれて悶絶します。
痛む脚を抱える流星の姿に毒気を抜かれたチホは、流星を店に招き入れます。
中で流星はチホを口説きます。くだらない常識に囚われていた自分を変えたい。だから自分の一生を三千万で買わないか。
契約書を書き血判を押す流星にチホも本気を察します。
そこに現れた、手にあざのある男。チホにそそのかされて三千万を盗んだのに裏切られたのを恨んで追ってきたのです。
三千万円とチホを守るため、男と乱闘を繰り広げる流星。
男が流星の顔を潰そうと割れたガラス瓶で流星に襲い掛かるに至り、耐えられなくなったチホは流星の制止を聞かずに金の隠し場所を吐きます。

流星の電話を受ける司。
なんと、流星は三千万を獲得していたのです。
苑子のアパートで、3千万を取り返したいきさつを話す流星。
実はチホが手にあざのある男に渡したのは、偽の鍵だったのです。
本物の鍵を、プレゼントだと流星に渡すチホ。
チホは流星の心意気に打たれたのだと言います。
それではけじめがつかない流星は、ひとつの提案をします。
「3千万のお礼に、キス100万回ってのはどう?」
チホは答えます。
「100万回にも負けない、新宿一、東京一の熱ーいキスをちょうだい?」

「お前、かっこうよすぎねぇか? 気障っていうか」
一連のやり取りを聞いた司が、ややあきれたようにコメントします。
「こんな時、司だったらどうするかって考えて、真似しただけだよ」
さらりと答える流星に、やや瞠目して絶句する司。流星の素晴らしいお手本は隣にいたのです。
この後、苑子が土橋のところに行き、たぬき爺の頬を札束で叩いて啖呵を切り、花咲かじいさんよろしく道中3千万をばら撒くというカタルシスたっぷりのシーンを挟み、再び苑子のアパート。
3千万を有意義に使ってすっきりした苑子は、お礼として司と流星に銀杏をふるまうのでした。

数日後。
流星は、司にマンションを出ると告げます。
驚く司に、更に続ける流星。
「お前が俺に、友情以上のなにかを抱いているっていうのな。あれ、応えることはできない。俺が応えることは絶対にない」
きっぱりとした拒絶に、思わず席を立つ司。その背中を、流星の悲痛な声が追いかけます。
「友情だけを大切にしたいんだよ!」

夜の街をひとり、あてどなくさまよう白いコートを纏った司。
その姿は、亡霊のようです。

夜に抱かれて 第4話

『夜に抱かれて』というドラマはドロドロになりそうな昼ドラ的題材を、朝ドラの上品さでまとめています。
これは重厚な音楽の効果も多分にあるわけですが、主に主人公である中里苑子の性質によるものです。
苑子は、京都の祇園の芸子であった母親に育てられ水商売を生業としてきました。
若い時に、子どもをひとり設けています。
子どもの父親である村上直樹は既婚者であり、一緒にはなれませんでした。
苑子の母親は生まれてすぐの子どもをどこかに預けてしまい、そして消息を苑子に教えることなく他界しました。
バブルがはじけ、銀座で店を構えていた苑子は資金繰りに喘ぎ、マンションを手放します。現在はクラブ『くれない』の雇われママ。
第1話では、かつて店の金を持ち逃げした客が金を持ってきたのに気をよくしてホテルで一夜を過ごしたのに、ふたを開けてみればジュラルミンケースの札束は間に白紙を挟んだダミーで、しかも相手は自分で同衾を求めたくせに下衆な捨て台詞を吐いてくるのです。
「十代の処女なら三千万出すけどね」
苑子も言われっぱなしではなく、ベッドに寝ている男の上にボトルの赤ワインをどぼどぼと注いで立ち去るのですが、自宅に向かうタクシーの中で涙が朝日を反射していました。
その後出張ホストに応募してきた男たちを騙す詐欺に加担するのですが、相手の村上剣が息子と同い年だとわかった動揺し、「財布からいくらでも取っていていいから帰って」と追い出してしまいます。カモにお金を渡したんです。
その後も自分が騙した流星の借金を肩代わりしようと、性格がほとんど武士です。
第5話にて「やせ我慢がこのひとの信条になっているのだろう」という流星のモノローグがありますが、まさにそういうひとなのです。
いつか会いたい、それが夢だと語っていた生き別れた息子が実は村上の家に預けられていると知り、頭を下げて訪ねて行ったら交通事故で死んだと告げられた時も、酒を飲んでひとしきり泣いたら、気丈に立ち直ります。
場所が司の店だったので司と流星が給仕として付き合うのですが、この苑子を中心とした紳士同盟がすごく雰囲気が良くて。三人でいるときは皆楽しそうで幸せそう。

第4話: 罠(トリック)

苑子の抱える借金の中で、どうにもならないのが三千万円。それを無担保で貸すと申してできた土橋建設の社長と苑子が銀行に行った日、部屋で筋トレをしながら流星と司は話題にします。
「司が貸せばいいじゃないか」
「そんなキャッシュねぇよ。派手に見えても案外手元に残らないのがこの仕事なのよ。そりゃ、副業で手堅くやってるやつはいるよ? けど俺は性にあわねぇ。ホストならホストらしく目いっぱい見栄張って生きろってんだ。それに、あの人断るよ。金が友情の値段になるって言って」
「友情ね。男と女の間に友情なんてあるのかな?」
「俺と苑子さんは、いわば戦友だな」
「戦友ね。俺はあの人のことそんな風に思えないな」
「惚れたのか?」
ここでは司の追及を流す流星。
司は流星を恋愛感情込みで愛しているので、無意識に流星の身体のラインを目で追ってしまう自分に気付いて、苦し気に目を逸らします。
銀行では、苑子と土橋の取引は順調に進んでいました。しかし、店員を装った手の甲に傷がある男に三千万を丸ごと持ち逃げされる事案が発生してしまいます。
「どうすんだよ」
司のマンションに戻り己のミスだとひとしきり事情を愚痴る苑子。
「それが…お金ことはいいから、世話にならないかっていうの」
「愛人になれってことですか? やめてください!」
語気を強くする流星。
「土橋…どっかできいたことあるんだよな」
ひっかかって首を傾げる司。
苑子がアパートに戻ることになり、クラブ『くれない』にも戻れる算段がついたと本人は言っています。が、当然司と流星は収まりません。
「土橋……土橋……思い出した!」
二人が勤めるホストクラブ『ジュリアン』の近くのホストバー『キス100万回』の常連に、土橋建設社長の愛人がいたのです。
持ち逃げは土橋の関係者が関わっていると確信した二人は、その夜『キス100万回』に偵察に行きます。

司の家では流星は司の服を借りてるので、終始ぶかぶかの服の中で細い身体が泳いでいる上、燃え袖になってます。白のクルーネックの袖をまくってるのも、手が隠れちゃうからでしょうね。眼福。
閑話休題。

「そういや、仕事には慣れたか?」
カウンターで偵察中、近況について語る二人。
No.1についているから大丈夫、店以外でも貰っているから借金を返し始めたんだと語る流星。
「そういや、そもそもお前はなんでホストに?」
訊くと、司は言いよどみます。
「それはな……」
そのとき、愛人が来店します。
聞き耳をたてる二人。チホという女が三千万が手に入ったと語り持ち逃げに関わったのは確定です。
話題から彼女の趣味が競馬だと知った司は、流星に競馬雑誌購入の使い走りを頼みます。
チホがトイレで席を外している間に即席で競馬の知識を叩き込む二人。
ここで司と流星が一つの雑誌を除き込む接近パートが入ります。
チホが戻ってきたタイミングで、司と流星は競馬の雑談を始めます。
計算通り乗ってくるチホ。
そのま三人でいい具合に盛り上がりますが、暗記物が苦手な司は出ていないオグリキャップのダービーの話をしてしまいます。
「オグリはダービーに出てないわよ」
チホに冷たい目で突っ込まれます。
「夢です、夢。こいつ、好きすぎるあまりオグリがダービーに出る夢を見たんだよ」
流星のフォローにより事なきをえます。この辺、司と流星のコンビは実に息があっており、高校時代もこうだったんだろうなと思わせます。
司がスツールの後ろに隠した競馬雑誌がずり落ちそうになったのも、気付いた流星がフォローしていました。
ところで、チホの好みは一度あっただけでしっかり名前を覚えてくれていた司ではなく、スラっとしなやかな流星です。
「あんた、オグリみたいね」
オグリキャップの子どもの馬主になれるかも…という話を餌に、次は『ジュリアン』に来店するようにといってチホと別れます。
翌日、司のマンション。苑子が出て行ってからすっかり水準の落ちた食事を居候ホストたちとすすりながら、司と流星は徹夜の朝を噛み締めていました。
「一夜漬けをなんて学生時代以来だよ。青は…3枠の色」
「4枠だろ。俺は一夜漬けじゃなかったけど」
「お前すごいな」
司に褒められてもクールにスルーする流星。本当にいいコンビ。
司はチホに見せる用のオグリキャップとの合成写真まで、客に頼んで準備しています。
「散々文句言われたよ。『この私にこんなことさせるなんて』って」
「一発キメれば、大人しくなるんだろう?」
さらっと返す流星に、やや瞠目する司。
「お前も言うようになったな。けど気をつけろよ、客はお前のいいところに惚れてるんだから。水に馴染みすぎると、意気地が汚れるぜ」
夜。計算通りチホはジュリアンに来店。畝子も協力した策に見事にハマり、次は三千万円を持ってくると言質をとります。
が、チホははやる気持ちを抑えきれず、どこかから聞きつけて司のマンションに直接来てしまったのでした。