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『首』における曽呂利新左衛門の話

※以下映画『首』の展開に触れます。

・なんだか元気になる
さくさく人が死ぬのに観ててすごく楽しいな、とうきうきしていました。
友人が「『とにかく面白がらせてやろう!』という気迫を感じた」と言っていましたが、殺伐とした血で血を洗う戦国の泥沼愛憎劇を、徹頭徹尾エンタメにしてお送りされているんですよね。
おかげでゴアのやだみを感じる余裕もない(大画面で冒頭の遺体の断面に蟹が這う様には「ひっ」とひきつった声が出ましたが)。
人生が現代よりずっと短い時代、いつ死ぬのかわからないという状況がそうさせるのか、皆懸命に生きてるんですよね。エネルギッシュ。
友人の言「秀吉の大返しに馬なしでしっかりついてきてた娼婦&娼夫、ガッツがありすぎる

・曽呂利新左衛門はなぜ死んだのか
『首』は人の命が軽い不条理な時代の話であり、虚しさがテーマになっています。
しかし作中時間を割かれて描かれる登場人物たちは斎藤利三であれ茂助であれ各々の背景が描かれた上で、生きざまを象徴するような見せ場としての劇的な死に様が描かれています。
なのに曽呂利はあっさり幕切れ。情緒もありません。相討ちというシチュエーションならもっと演出されていいはずなのにさらりと退場してしまいます。
『首』において曽呂利は何故あのような退場をしたのか。
曽呂利は定住地を持たない根なし草。身一つで稼ぐ術を持っている香具師です。口が上手くて、目も耳も確か。顔も広く、「絶対死ぬぞ」と言われたミッションも気負わず引き受けてこなした上、生還してしまう。悪運まで強いんですね。
曽呂利に決死の過酷なミッションを課したのは秀吉です。笑いながら命じているのでなかなかに酷いですが、裏を返せば秀吉は曽呂利には本当のことしか言っていません。つまり曽呂利を自分と対等に話ができる人間だと認めている。さらに寝所に入れるくらいには信頼もしているのが描写されています。
けれど聡い曽呂利は、光秀と秀吉が事を構えるとなると、さっさと秀吉の元を離れてしまいます。
光秀と秀吉では力量が拮抗しており勝率が五分と五分なので。
侍ではない曽呂利は損得でしか動きません。勝ち馬ではない秀吉には用がないわけです。

これこそが、曽呂利が退場した理由です。

侍の頂点にいる織田信長、誰よりも侍らしい明智光秀、そして侍の価値観に馴染めずにいるものの侍として天下を取るつもりの羽柴秀吉。
信長は配下の心が己にあるかをとても気にしており、モチベーションがそこに集約されています(反面、俗世のしがらみにうんざりしておりきている)。権力の頂点に君臨しすべてが思うがままなのに(あるはそれゆえにか)、前髪を切って元服すべき年頃の森蘭丸をいまだに稚児として寵愛し、都度都度己への真心が返ってくるか確かめている。権力で無理矢理従わせるのでは嫌で、全き愛が欲しいのです。
光秀は、長年連れ添って一心に尽くしてくれる荒木村重を「天下のほうが大事」とあっさり棄てるわけですが、その光秀の謀反の原動力にしても「信長が己の理想とした信長ではなかった」という信長への屈折した愛。城中で憂さ晴らしに信長と蘭丸のコスプレさせた平民を殺しているという、憧憬と崇拝がねじくれて煮詰まり極まった末の執着をただ信長に向けている。光秀はユダなのか。
そんなことで戦が勃発していてはたまったもんじゃないし、端から見ていても馬鹿馬鹿しいわけですが、しかし信長も光秀も本気です。命をかけてやっています。秀吉は侍連中みな馬鹿だと内心コケにしていますが、天下を取るためなら侍相手に道化にだってなってみせる必死さ。
農民あがりの茂助にしても、しでかすことは見当違いばかりですが懸命です。
己を抜き身の剣としてぎりぎりの鍔迫り合いをしている侍たち。
一方、曽呂利の本気というのはまるで見えません。ずっと冷めて俯瞰で物事を見ている。
自分を買って目をかけてくれた秀吉への、なにがしかの感情さえ窺えない。
人の情がない。
なのであっけなく死んだのです。