江森三国志ファン必見!! 映画『首』は英雄譚の◯◯である

江森三国志Fanは映画『首』を観に行ってください。正しく英雄譚のやおい読み替えでした。
江森備の長編小説『天の華・地の風』、通称江森三国志は、過去の疵により成人後も男に抱かれずにいられない性を持つ諸葛亮孔明が、己を抱いた男が軍師孔明をも掌中におさめたと錯覚し政の場でも支配しようとすると、たぐいまれな知略でもってその男を謀殺していく大変な名作です。
要するに男性間の政(まつりごと)の場での攻防がプライベートの色事の駆け引きを想起させ、事実読み取りが可能で命のやり取りに繋がるので実にスリリングなのです。
映画『首』もまた、主君への忠誠の証明、権力争い、公の行動言動すべてが武将たちの愛憎劇になっています。比喩ではなく、本当に政が同性間の恋愛と情欲に直結している。
主人公がトラウマを抱えた深謀遠慮な知略家だったためにシリアスな大河長編だった江森三国志に対し、天下人信長への「愛」を競う武将たちの集団(ボーイズクラブですね)から一歩引いてる羽柴秀吉(ビートたけし)が主人公の『首』なので、かなり直情的というかそのままお出しされています。裏なんて読む必要がない。身も蓋もないともいう。
作品自体、男たちが夢中になっている男同士の意地と見栄による張り合いや嫉妬による足の引っ張り合いのくだらなさ、馬鹿馬鹿しさに自覚的なのを軍師黒田官兵衛(浅野忠信)が秀吉と秀長(大森南朋)を見る視線の温度が物語っています。
そして両作品、物語を貫く価値観が共通しています。
歴史上の英雄たちも俗世を泥臭く這いずり足掻く人間である。そこには英雄はいません。皆、儘ならない日々を生きる血の通った只人です。
武将たちの偶像としてのイメージを使っていながら卑近な俗物に落とし込む。描き方が気に入らない人はいるでしょうが、私は気に入りました。皆が我武者羅に懸命に生きている姿がとにかく魅力的で。
『首』、すっごく楽しかったです。