三島由紀夫は、日本で一番有名な同性愛者です。
三島は徳川家に仕えた大名の後裔の家に嫡男として生まれ、祖母に溺愛されつつ厳しく育てられました。
学習院に進学し、東大法学部卒業後は大蔵省に入省したエリート官僚です。
学生時代から天才と称された文学家であり、代表作として小説『仮面の告白』『禁色』等があります。
個人の読書歴ではミシマダブル*1上演の際、戯曲『サド侯爵夫人』『わが友ヒットラー』を読み込み、手元には学研M文庫版『黒蜥蜴』*2があったりする程度です。
閑話休題。
大蔵省退職後、三島は作家業に専念し、歌手・俳優・映画製作と多才に活躍する一方、ボディビルで身体を鍛え武道を修得します。
己の感受性の強さを嫌悪し克服するため古代ローマ帝国の男性美に憧れたのです。
右翼思想家として自衛隊隊員の若手を牽引し『盾の会』を設立、自衛隊駐屯地にて割腹自殺をし、45歳の生涯に自ら幕を閉じました。
ドラマ『夜に抱かれて』において高島政宏が演じる麻桐司は山梨県の良家に嫡男として生まれます。
成績優秀で面倒見がよい兄貴肌で、東大卒業後外務省に入省。エリート中のエリート、リーダーとしてトップに立つべきで男の中の男である一方、高校時代の親友である神谷流星に恋焦がれて忘れられないでいるというナイーブな一面を持っています。
語学堪能で教養があり『夜に抱かれて』の登場人物中唯一、趣味で本を読んでいる描写がある文学青年です。つまり誰にも立ち入らせない内面世界を持っているんですね。
第2話のタイトルが『禁色の告白』であることからわかるように、麻桐司の基本的原型は三島由紀夫です。
三島は同性愛者なのですが、本名平岡公威としては妻も子どももいます。三島の意思で結婚し夫婦仲は良好だったようです。
しかし昭和最後の年に成人した司には名前が一つしかないので、二つの顔を同時に持つことできないのです。
だからこそ流星からの決定的な拒絶(第6話)と傷のエピソード(第7話)は対で、司にとって絶対に必要だったのです。
司の内面と外面のずれは、そのままにはしておけないほどの亀裂なのです。
昼の世界と縁を断ち夜の街で生きている司は、しかし自分を受け入れたわけではありません。
電話口でオネェ言葉を使う柿崎に過剰な反応を見せるように(第1話)、司は、己の中にある柔らかい部分を嫌悪しているのです。
その柔らかさとはつまり流星に直結するわけですが、司は流星に強く惹かれていながらも自ら向き合うことはしていません。
第2話における告白を思い出してください。司は、流星が自分と同じ夜の世界に落ちてこなければ胸の内を告白するつもりはなかったのです。
再会に懊悩する司が己の鏡像として流星を見ていたように(第1話)、司にとって流星とは、向き合いたくない自分です。
二人きりでいたいと言って流星を監禁しながらも、司は全く幸せそうではありません。
俗世とは隔離された状況下、アイデンティティの根幹である想いを拒絶された司は、抜け殻になり自死を試みます。
代わりに剣が傷を負うことになり自死は未遂に終わりましたが、ここで司がホストになった理由がやっと明かされます。
「男に惚れている自分を受け入れられないから、男を売って確かめようとした」。
流星に惚れているのに、そんな自分が認められない。
この二律背反が司のテーマです。
命を絶てなかった司は、俗世に戻り流星とはライバルとして向き合うことになります。
内面は深く傷ついているのに、完璧なNo.1のまま。そして司はホストとしての命である顔に永遠に消えない傷を負うことになります。
傷を負った司は流星に対し気丈に振る舞いますが、それは虚勢です。
事実、己の傷の深さを確認した司は悲鳴をあげ、誰にもそれを見せようとしません。
そのままホストをやめようとします。逃げようとしたんです。格好をつけて、格好良いままで。
苑子はそれに気付いて、半ば無理矢理司の傷を暴きます。このシーンは、拒絶する流星の手首を掴んでベッドにはりつけにした司と相似です。
ただ、同じ状況でも失うものはもうないと覚悟を決めている流星は己を保てているのに対し、司ははっきりと取り乱しています。
実は司は堕ちるところまで堕ちていなかった。己をさらけ出せていない。
覚悟を決めた司は、傷を負った己の顔を初めて正面から見据えます。
司が流星の前で客がひとりもつかない姿を曝すという第8話以降の展開は、初見では流星のもつ劣等感――司の後ろで小さくなっている、親友といいながら対等ではない、愛しているのに憎んでもいる自分のどうしようもなさ――を解消するために必要な立場の逆転だと思っていたのですが、真に必要としていたのは司のほうだったのです。
己の受容のために。
男に惚れていても、完璧な男でなくても麻桐司は麻桐司として生きていけると証明するために。
内面と外面を統合した完全な麻桐司は、晴れやかな顔で親友神谷流星の隣にいます。
幼少期、三島は可愛がっていた猫を父親に棄てられ、餌に毒を盛って殺されそうになった経験があります。*3
三島が親の愛情を受けながらも、その所業に傷つかなかったわけがなく、彼が嫌悪した己の感受性とはこうしたところだっただったと私は推測します。
「猫、飼ってもいいかな?」
居候になった流星の、おそるおそるの懇願。司が、誰にも渡したくなくて腕の中で大切に守りたかった流星って、これなんでしょうね。
※1)2011年2月シアターコクーン上演。舞台における東山紀之の代表作。 ミシマダブル 「サド侯爵夫人」「わが友ヒットラー」 |渋谷文化プロジェクト webarchive
※2)三島由紀夫「黒蜥蜴」,2007,学習研究社,ISBN978-4-05-900459-2
2003年ル テアトル銀座にて上演された舞台『黒蜥蜴』の、高嶋政宏演じる明智小五郎の写真が収録されている。
※3)参考 平岡梓「伜・三島由紀夫」,文藝春秋,1972,p71-72